〈なまにくとの関係〉麦の入院(Mettのせいではありません)
なまにくがだいすきです♡
なまにくがだいすきですが、大変なことになった経験があります。
大学生の頃でした。
Mett(ドイツで食べられている生肉)のせいではありません。
これは日本での話です。
お食事中の方は、ご覧にならない方が良いかと思います。
ロダン 地獄の門 @オルセー美術館
〈金曜、焼肉行かへんかった?〉
麦がまだ大学生で、大阪の実家に住んでいた頃。
ある日、ものすごくお腹が痛くなりました。
ものすごーく、痛くなりました。
そのうち治るかと耐えましたが、治るどころか酷くなる一方です。
とうとう痛みに耐えきれず、救急病院へ行きました。
痛くて痛くて、時々意識が遠のきます。
これはもぅわたしちょっとやばいかも…
そのまま入院することになりました。
翌日、ついに動けなくなった麦は、車イスに乗せられて、いくつかの検査を受けました。
お年頃の女子なら絶対に避けて通りたいあの検査も、断るという選択肢はありませんでした。
言うのも憚られますが、大腸内視鏡検査です(言ってる!)。
麻酔の点滴みたいなのをされているものの、ただでさえ意識が途切れるほどお腹が痛いってのに、その痛いところの内臓の中をぐりぐりカメラが移動するわけですから、それはそれは痛い。
悶絶とか、もぅそういうのじゃなくて、なんというか、生きる力がどんどん消えて行くのをハッキリと感じました。
明らかに、あっち側(川の)に近づいています。
そういうときでも、大阪のお医者さんというのは、大阪弁でしゃべります(そりゃそうだ)。
うっわぁー、これはひっどい(酷い)わぁ‼️w
ホラ、ちょっとコレ、見てみ❗️www
と、麦にカメラ映像が映し出されたモニターを見るように言っています。
最後の力を振り絞って、黒目だけを動かしてモニターを見ました。
やばい。わたしのだいちょう血まみれや。
お医者さんというのはそんなもんなのか、酷い状態の大腸を見て、どうもちょっとテンションが上がっている感じです。
そして、おもむろに麦にたずねました。
金曜、焼肉行かへんかった❓
…………………………
……………❗️
行った‼️(麦)
なんでわかった…エスパー……か………?
その界隈の学生たちには安くて美味いと有名な、明らかに傾いたあのボロボロの店構え。
店に入ったら、読んでいた新聞から目を上げて、くわえタバコでイラッシャイ、と言った焼肉屋の大将。
姉ちゃん生レバ好きなんか?じゃあ多目に盛っとくわ、と言って、ニカッと笑った大将の顔。
生レバを美味しい美味しいと、独り占めして食べた卑しい自分。
走馬灯のように駆け巡ります。
コレは、O157やな。出血性大腸炎です。
お医者さんが言いました。
麦は思いました。
ナルホド、コレがO157か。
O157の潜伏期間は4日〜9日と長いので、忘れた頃に発症します。
お医者さんは、潜伏期間や若者の行動パターンから、金曜の焼肉を導き出したようです。
さすがの洞察力。
遠のく意識の中で、舌を巻きました。
生もん食べたやろ?(お医者さん)
食べました。
大将、生レバ、ちょっと古かったんとちゃうか。
〈おかあさん、来たる〉
特に何か治療ができるわけでもないので、体力が回復するまで、1週間程入院することになりました。
放り込まれた病室は6人部屋で、ドアの近くにはすこぶる元気そうなおばさんが入院していました。
麦は、元気そうなおばさんから空きベッド1つあけて、窓際のベッドで過ごすことになりました。
痛み止めの注射も効かず、痛みで眠ることもできず、朦朧としていた2日目の夜中。
病室の中が、突然にぎやかになりました。
おかあさん、また呑んだからー!
ほらいわんこっちゃないでなぁ!また呑むもんやからぁ!!
ぜー、はー(苦しそうな息づかい)
こんなんなるのにまた呑むもんやからぁぁーー!!!
ぜー、はー
よりによって、隣のベッドに落ち着くようです。
どうやら呑んではいけないのに呑んでしまったらしいおかあさんの、ただ事じゃない息づかいに、麦の緊張感は一気に絶頂です。
すると突然、隣のベッドと自分のベッドを仕切っているカーテンが、
シャァァーーー‼️
と開きました!
心の準備もできないまま、苦しむおかあさんとご対面です。
あ、すんません、すんません
引っかかってしもたわ
と麦に声をかけるおかあさんのご主人。
わぁわぁしている、おかあさんの子どもたち。
そして、ベッドには、病院のベッドにつける机?に頼り切って苦しむおかあさん!
おかあさんは、弱り切っている麦でも思わず心から心配になるほど苦しんでいます!
ひぃぃーーー!(麦の心の声)
おかあさんは土気色、質感はETもしくは子泣き爺です。黄色い目は、血走っています。
すごぉく、すごぉく、しんどそうです。
ド迫力。
おかあさんは長らくひどく苦しんでいましたが、徐々に落ち着いていき、家族も帰っていきました。
まったく落ち着けない麦は、すっかり取り残されました。
もうすぐ夜明けです。
〈元気そうなおばさんと、おかあさん〉
おかあさんは、次の朝にはケロリとした様子。
麦と顔を合わせると、
昨日はごめんなぁ!
と言って、にしゃりと笑いました。
土気色の顔は張りを取り戻していましたが、歯はありませんでした。
おかあさんのところには、ご主人と子どもの他にも、たくさんたくさん人が会いに来ます。
おかあさんはしあわせだなぁ(*´꒳`*)
と思いました。
さて、元気そうなおばさんは、今日も元気です。
何くれとなく、麦に話しかけてくれます。
食べ物も勧めてくれますが、あいにく麦は絶食中です。
頼んでもいないのに、麦の1日を、仕事帰りに寄って行く麦母に報告までしてくれます。
見舞ってくれた友人たちや当時の彼氏の様子など、つぶさに観察し、細やかに伝えてくれます。
元気そうなおばさんの話で、印象に残っているものがあります。
元気そうなおばさんが、韓国の人と話した時のエピソードです。
最初は相手が何をしゃべってんのか全然分からんかったけど、ゆっくりゆっくりしゃべってもらったら、不思議なもんでだんだん、なんとなーく、わかってくるもんやねん!!
という、控えめに言ってもどうでもいい話なのですが、韓国語と日本語は文法も似てるっていうし、似ている言葉もあるし、そういう事もあるのかな、と、麦は絶食中の脳みそで考えたのでした。
元気そうなおばさんは、明るいなぁ(*´꒳`*)
と思いました。
〈また夜が来て〉
病院に早い夜が来て、また眠る時間になりました。
麦はやっぱりまだお腹が痛くて眠れず、ナースコールを押そうかどうしようかと悩んでいました。
元気そうなおばさんは、元気に大いびきで眠りこけています。
そのとき。
ブゥゥゥーー
間違いなく、おかあさんです。
大いびきの元気そうなおばさんも目を覚ます大放屁。
目を覚ました元気そうなおばさんが叫びました。
いゃっ!まぁ!!大きなオナラ!!!
……(2秒ほど沈黙)
くっさ
バッサバッサ(何かで扇ぐ音)
麦は、ちょっとだけ、泣きました。
〈おかあさんと元気そうなおばさん、ふたたび〉
おかあさんは、2、3日で、あっという間に退院していきました。
やっぱりご主人と子どもたちがわぁわぁ迎えに来て、歯のない笑顔で病室の人たちに挨拶をして、おうちに帰って行きました。
元気そうなおばさんは、麦が見る限り一度も検査などに出て行くでもなく、点滴を打つでもなく、ずっと明るく元気でした。
不思議なことに、元気そうなおばさんを訪ねて来る人は見かけませんでした。
麦が退院する日になっても、元気そうなおばさんが退院する気配はありませんでした。
そして、元気そうなおばさんが、おかあさんに話しかけることもありませんでした。
おかあさんはわぁわぁ退院して行ったけれど、きっとまた、病院に戻って来るんだろうな。
元気そうなおばさんは、あとどのくらい、病院にいるのかな。
この2人が強烈過ぎて、同じ部屋には他にどんな人がいたのか、全く覚えていないな。
〈こわいこと〉
退院してすぐ、当時の彼氏にフラれました。
ご丁寧に、
オマエにはオレがいなくても大丈夫やから。
というありきたりなセリフ付きでした。
もはや骨と皮だけになった麦が、大丈夫なわけがありません(まぁ、結局は、大丈夫でした)。
こんなに悪いことが続くなんて、こわい。
バイオリズム!?こわい!!!
なんて思っていました。
その後も時はもちろん、止まることなく流れて…
気づけば、この体験から、もう20年近くが過ぎているのでした。
それが一番、こわいです。